崩壊した神話エレベーター安全を守るのは誰か?

新技術より運用に立脚

著者は日立ビルシステムのOBである。日立では日立製作所がエレベーターの開発・製造を行い、日立ビルシステムが保守会社である。その保守の立場で勤め上げたことによる豊富な経験と知識の成果が本書である。

現在動いているエレベーターを管理する立場からの観点であることから最新技術や風変わりなエレベーターについての言及は皆無だが、エレベーターの始まりから現在主流となっている仕組みに至るまでの技術的、その背景にある社会的な変化が非常に細かく記述されている。日本で最初のエレベーターとされる浅草凌雲閣のエレベーターは、有名な存在でありながら実はその資料が乏しく(運行開始後程なくして当局から安全性の疑念を指摘されて運行が中止され、更に建物自体も震災により長くはない期間で消滅してしまったためであろうか)、その全容を把握することは困難なものだそうだが、これを数少ない挿絵などから「このような構造であったろう」と復元図と解説を披露している。これは面白い。

また、エレベーターを実際にどのように建物に据え付けるのか、しかも「地下鉄はどこから入れるのか?それは穴を開けてクレーンで搬入します」程度の話(←この漫才のネタは本文中で実際に引き合いに出されている)ではなく、建築現場で邪険にされながら作業をしなければならないこととか、寸法管理の困難さとか、実際に現場で作業に関係した人間でなければ真に理解出来ないであろう記述は読み応えがある。

日立というのは何でもやっているがその一方で「これなら誰にも負けない」という技術が少ない。エレベーターも、特に著者が入社した頃はその悲哀を味わっていたようだ。しかしそれが「幸い」してか、社員は自社のモノに拘らずに社会全体を客観的に見るという視点の置き方には長けているように思える。このため、このような自身の仕事に直結する内容の書物であれば、ともすれば自社の歴史を書いただけに終わったりしがちなところ、業界全体の動きが極めて客観的に纏められている。尚、著者が日立のOBであるという事実は奥付の著者略歴を見れば分かるが、本文中にはそのことは一切明記されていないし、「日立」という言葉も殆ど使われず、「H社」とか「M社」という記述が多い。

本書はタイトルと出版時期から推測出来るように、2006年のシンドラー社製エレベーターによる死亡事故がきっかけで稿が起こされた。この痛ましい事故に関しては多くの報道が為されたが、専門家の立場からは実に不正確なものが多く、黙ってはいられなかったということだ。不正確な情報や論拠によりメーカーが過剰に非難されているとの思いからシンドラー社を批判するような記述は皆無で、極めて冷静に、しかしそれまでの仔細な記述に比較すると極めてあっさりと、その事故原因を分析している。当該事故に続いて世間を騒がせた六本木ヒルズのオーチス製エレベーターの事故に関しては、「むしろよくぞこの程度で済ませた」とオーチス社を褒めてまで見せている。

このような書き方は、先述の通り感情的に特定の対象が非難されがちな状況に対するアンチテーゼとして、そしてその方向性に対する反力としての効果を持たせるために必要なことではあろうが、小生の置かれた特殊な人間関係、つまり常にそのような専門家的な見方をして一般人の直感的、若しくは感情的な感想を無知無能の者の戯言としてまずは批判する者ばかりが周囲にいる状況では、逆に「またか」と思ってしまう面もある。先の事故でシンドラー社が徹底的に糾弾されたのは何故か。それは本文中でもほんの一言だけではあるが認められているように、事故発生時に被害者にお詫びをするでもお悔やみを言うでもなく「我が社に瑕疵は無い」と言い張ったことが原因である。これは社会的に非難されるに充分な根拠であることは考慮するべきで、原因究明にはそのような事情が影響することは排除されるべきではあるが、逆に原因とは独立に、そのような不誠実な態度は社会の批判を浴びるものであることも当然である。今この文章を書いているのは赤福の賞味期限偽装が話題になっている頃であるが、これに関しても「実際に食中毒を起こすような危険な商品を出したわけではないのだから騒ぐことではない」と言う者がいるが、問題の本質はそういうことではなく、消費者を欺いていたことである。新鮮な食材を使っているということを商品の附加価値にしていたのだから、その実冷凍品を出していたのでは商品価値の低い物を不当な高値で消費者に売り付けていたことに等しい。

些か本題からずれてしまったが、本書の文体は非常に砕けているのが特徴だ。勝手な想像で著者には申し訳ないが、現役時は怖い上司であったのが、退職してそのような角が立つような性格を一変させてみた、という漫画にありがちな光景が目に浮かぶ。

2007.11.10作成
トップ > 書評 > 現在地 崩壊した神話エレベーター 宮内明朗 丸善プラネット 2007