龍の契り

龍に始まり、終わりは蛇

中国返還直前の香港にまつわるフィクション。返還に関係するというある文書が行方不明になり、各国の諜報機関がそれを競って追い求める、という展開。誰がその文書を手に入れ、その内容は何か。現在出版されている文庫版等は最近の発行であるが、オリジナルは実際の香港返還の少し前だったと記憶する。

レビューなんでネタばれはあまりしないようにとは思いつつもやっぱり多少ばれてますので以降はその積もりでお読み下さい。ブランクを挟む毎にネタばれが進むと思って下さい:p






作中には各国の多数の人物が登場する。そして、最初の意図は兎も角最終的にはこの文書に関連するということで繋がるわけだが、初めのうちは登場人物がそれぞれ別の場所で別の行動を取る。勿論外国人が多いので片仮名だらけで、まずは名前と役柄を把握するだけで精一杯である。

そんな中で、日本人の手による創作であるから日本人も重要な役割を果たす。主人公たるそのうちの一人は外務省の極めて有能な官僚ということになっているが、彼をトップたらしめることを阻む者がいる。その人物とは…。これって本題とは関係がなく、最初から彼がトップに立っていても話の流れに影響しないと思う。時事的(と言えるかな)だった実際のある出来事を無理矢理絡ませようとしたように見えるけど…だから何なんだ、と思わなくもない。

物語はこの登場人物たちによる戦いであり、だから騙し合い、殺し合い、といった事件が次々と起こる。そういう意味で興奮を覚えながら読み進むことが出来る。






しかし、読み進めて行くにつれ、何となく違和感を覚えるようになる。物語の主役たる日本人等が殊更に中国重視の思想を語り出すのである。現在の情勢から鑑みても中国がパートナー足り得ないと思われるのは勿論、当時にしても香港の返還が、その自由社会であるがために享受して来た繁栄を崩し去ってしまうのではないかと懸念されていた。作者がそうした主流である意見に、フィクションを用いて敢えて異論を挟んでみたとも考えられるが、何かしら中国信奉のようなものが底流にあるのではないか、と感じるようになる。

そしてその疑念は、クライマックスを迎えた時点で確信に近いものへと変わる。各国の秘密組織や個人が入り乱れての「戦争」を繰り広げて来たことは、なんとほぼ全てが中国の秘密組織の掌の上だったというのである。そして他国の手中にあると中国に不利となる「文書」は目出度く中国の手元に戻り、日本と中国が緊密なパートナーとなることを「全てにおいて完璧な契約書」によって約束する。それが結末である。鍵括弧内の表現も結末を焦ったような如何にも稚拙な表現だし、全ての出来事は中国の想定のうちに動いていた、そしてそれがあるべき姿だった、というのは、本当に中国信仰でもなければあり得ないような発想ではないかと思ってしまう。

因みに「文書」の内容とは何か。毛沢東が自らの政権の正当性を認知させる見返りに香港統治権を英国に認める、という内容である。散々「謎の密約」と引っ張る割には何の面白みもない内容である。

さて、その結末を迎える場面は毛沢東廟である。毛沢東の遺体が晒しものになっている現実にもある空間であるが、ここで登場人物の一人が中国側に腹を立て、遺体を破壊すると脅迫する場面がある。この時点では中国側は怯み、この人物を宥めるのであるが、その後別の人物との銃撃戦により結局遺体は破壊されてしまう。ところが中国側の面々は平気の平左。何故かというとこの遺体は影武者であり、本物は隠してあるというのである。そしてそれだからこそ中国側は遺体損傷の恐れがある銃撃戦を厭わなかったということでもあるが、そうであれば先の出来事の際に中国側が怯んだこととの整合性が取れないではないか。

遺体が破壊された際の日本人外交官の感想がこれまた中国至上主義の表れと言ってもよい。件の銃撃戦は彼が一言声を発したことをきっかけに始まったのだが、「自分のせいで中国の英雄の神聖なる遺体を破壊してしまった」と後悔するのである。毛沢東が中国人民に塗炭の苦しみを味わわせたという側面はまるっきり視野に無い。言論が自由である筈の物語の中の世界で、ここまで中国の現体制に阿る表現を並べるというのは一体何なのだろうか、と思わざるを得なかった。

「意外な展開と結末」と言えば聞こえはいい。しかし連載漫画の終了方法で多用される「夢落ち」と言われる手法が最低最悪であることに象徴されるように、それは今までの物語を無にしない形であることが必要である。加えて欧米の覇権主義には異を唱えながら、しかし人々がそれよりもっと懸念している中国の危険性については何も語らず賛美する。賛美するにしても理屈が欲しいところだが、欧米を悪とすれば自動的に中国が善となるかのような流れである。中盤までの戦いの描写が面白いだけに、最後まで読むと非常に失望させられた。タイトルは「龍」とあるが、龍頭蛇尾とはこのことではないか。

2006.1.15作成
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