東方見便録―「もの出す人々」から見たアジア考現学

強烈なまでに下品、だからこそ浮き上がる裏世界

アジア各地のトイレを見て回るという内容の本である。そもそもは漫画雑誌「ヤングサンデー」に連載された記事であり、そのような内容の強烈さが求められる環境への寄稿であることもあってか、本文は必要以上に下品である。

一口に下品と言っても2種類あって、1つには本書の主題である排泄行為に関する表現、もう1つは性的な表現であるが、本書の内容からするとその前者の意味かと思われようが、後者もしっかり含まれている。後者の内容はトイレの姿を示すのに必ずしも必要ないと思われるものもあるが、これもヤングサンデーの読者層を標的にしたものだろうか。

しかし、下品だからこそ描写が細かい。「品」を気にする文章だと、このようなことの表現が婉曲的になり、場合によっては分り辛かったりもする。ところが本書の記述は極めて明快。場面の様子を場合によっては擬音語まで取り混ぜてこれでもかと表現している。とても読みながらの食事は無理。筆者は現在に至るまで現役のバックパッカーであり、それ故の逞しい行動に感心させられるが、それは人間の生理的欲求であるこの排泄行為に最もよく現れていると言えるのかも知れない。

また、本書の強烈さを更に引き立てているのがイラストだ。トイレの描写を行う役回りと、女子トイレを観察する役回りということで、内澤旬子氏が抜擢されている。そうなると男性である著者の斉藤氏を牽制する役回りとなるのが自然であると考えてしまうが、斉藤氏が自ら描いたのではないかと思うような、本文そのままの強烈なコメントと描写のイラストが並ぶ。排泄の様子を排泄物まで入れて描いているのだから恐れ入る。トイレの写真を掲載せずにイラストにしたのは、トイレという存在の視覚的ダメージを和らげるためという意味の記述が初めにあるが、そのイラストがこのようであるから、却って視覚訴求効果が増しているようにも思える。

日本と全く勝手が違うトイレの用法作法に最初は全く面食らうものの、慣れてくるとそれでなければ逆に気持ち悪いとすら思える、というような記述があるが、そんな文章を読んでいるとなんだか居心地が悪くなってくる。ちょっとウォッシュレット装備のトイレに行って来ます。

2007.2.21作成
トップ > 書評 > 現在地 東方見便録 斉藤 政喜(著) 内澤 旬子(絵) 小学館 1998