変革の魂、ベートーヴェン

天才を語るに、他の語彙は無いのか

ベートーヴェンが天才であるということを否定するつもりは毛頭ない。しかし著者に問いたい。300ページ近くに及ぶ長大な文章で、繰り返される「天才」の2文字。大音楽家の尋常ならざる立ち回り、働きを「天才ならでは」「天才だからこそ」という修飾語を繰り返すことによって語る。それによってこの音楽家の偉大さを強調に強調を重ねているつもりなのだろうが、しかしこれは逆に、彼の全てをそのような単純な言葉によって矮小化してしまっているようにも感じる。

ベートーヴェンの生きた時代は社会の大変革期。本書のいう「天才」とはその音楽的な才能のみならず卓越した処世術をも指す。貴族社会から市民社会への移行期に、初めは貴族の歓心を買い、時代の変化を感じると素早く市民階級へも目を向ける。しかも貴族をパトロンに持つことで生活を支えて貰うという旧来の音楽家の在り方から、自ら「商売」を行って見返りを得る術を知っていた。芸術家としてのみならぬ才能を持つというこのことは、繰り返されると食傷気味ではあるが、やはり天才という言葉をもって評するしかないのであろうか。そしてこのことで、多くの芸術家が存命中には評価を受けられず悲惨な生涯を送った中で、ベートーヴェンは幸福であったという。これは素晴らしいことである。ただ、恋愛が成就しなかったこと、後半生を蝕む難聴、等を思うと、特に難聴となってからは死を度々意識していたとはいえ、果たして悔いのない人生だったのだろうかと思う。

この巨星は生涯独身であったが、その恋愛下手な様子について面白おかしく書かれている。かの天才もこれについては全く無知無能であった、という風に。ひょっとしたら著者の、天才天才と繰り返してきた構成に、ベートーヴェンの人間的な側面を織り交ぜようという意識があって、このことを殊更強調したのかも知れない。事実恋が全く実っていないのだからそうした記述は間違いではなかろうが、ベートーヴェン本人の胸中を慮ると複雑である。彼は死後自らのことがこのように分析され、語られることを望んだであろうか。一般的な感情の、音楽家としての発露手段である楽曲から、それを遡って感情を分析される。それが一般的な感情ばかりであるなら、己の訴えが理解されたとひょっとしたら本人も満足かも知れないが、恋愛感情までも分析されることを望む人がいるであろうか。このような偉大な人物であるからこそ、人間研究が仔細に行われてしまう。それは「有名税」とでも言うべきものかも知れないが、他人事とはいえなかなか辛いものがある。

元の文章が雑誌の連載であったことから仕方の無い面もあるが、厳密に時系列に沿った話題展開とはなっていない。特に当時の世相で重要な位置を占めるフランス革命など、章が改まる毎に語られる。うっかりしていると、おやまたナポレオンが皇帝になった、一体何回即位すれば気が済むのだ、と思ってしまう。そういうわけで彼の絶頂期の様子が繰り返し語られてなかなか話が進行しないと思ったら、あっという間に体調を崩してこの世を去ってしまう。勿論体調の中でも難聴に関しては繰り返し言及されているが、彼の生命力を徐々に奪っていった病魔の扱いは実に淡白である。

そして最期だが、前段に述べたように実に慌しく語られている。紙幅の都合だろうか。特に臨終の数日前から息が絶える瞬間までは1段落に押し込まれ、僅か5行程度の記述である。音楽家であるベートーヴェンを語るには、あるアウトプットが発生するまでの過程は詳しく探求する必要があるが、それが発生しなくなった人間の内面を探る意味も手掛かりも無い、ということであろうか。ベートーヴェンの最期は悲惨な語られ方をすることが多いが、本書では語り口よりもむしろ扱いが悲惨である。斯様に持ち上げる空前絶後の天才が、その最期の時間を如何に思いながら過ごしたか、そして彼の死が残したものは何か。ベートーヴェンは単なる歴史上の人物ではなく、今に愛される音楽の創造主であるということは著者自身が言っていることだ。であればこそ、彼の時代から現代への繋がりを少しは語って欲しかったと思う。

2006.2.3作成
トップ > 書評 > 現在地 変革の魂、ベートーヴェン 石井 清司 ヤマハミュージックメディア 2002