鉄道忌避伝説の謎−汽車が来た町、来なかった町

「非存在」を証明することの難しさ

巷でよく言われる鉄道忌避伝説、しかしそんなものは実際には皆無だったのだ、と伝説を一刀両断するのが本書の趣旨である。

本書では忌避伝説が存在する全国各地の例を採り上げながら、鉄道が通らなかったのは地元の意向とは関係なく地形的理由などその他の理由によるものだ、という話が述べられている。例えば上野原で中央線が集落から離れた崖下を通っていることを顕著な例として。そしてまた、鉄道排斥よりも鉄道誘致運動の方が盛んであったと、これは実際に各地の鉄道誘致の請願の記録が残っているようで、これをずらりと列挙して述べている。

このように鉄道黎明期と雖も鉄道を忌避するような社会風潮にはなく、更に地元の意向に拠らず当該地を経由しない経路が選定された「合理的理由」が様々に存在することから、鉄道忌避伝説など嘘っぱちだ、というのが本書の中間的な結論である。では、何故そのような根拠のない伝説が生まれたのか。

著者が郷土史料を中心に様々な資料を丹念に調べたところ、そもそも論拠の曖昧な「忌避伝説」の記述がある史料、これを「論拠」として新たな資料が作成され、それが拡大していくという行程が明らかにされており、実に興味深い。ところが本書を通読して消化不良の感があるのは、何故そもそもそのような論拠を曖昧とした史料が誕生したかがよく分からない点である。例えばその史料の作成者が悪意を持って歴史を捏造する意図があったとか、そのような背景が分かればすっきりするのだが、残念ながらそのようなことはない。

そもそも鉄道が既成市街地を避けるのは、地形的事由の他に、本文中にも触れられているように市街地を「破壊」してこれを敷設するのが当然のことながら困難であることが大きい。そしてもしそのような計画をすれば、近隣の人々は歓迎しても、正に鉄道の経路上に位置して立ち退きを余儀なくされる地権者は反対するであろう。本文中ではそのような事情は「忌避伝説とは異質の通常の住民感情」として片付けられているが、この「通常の感情」が実は異質なものではなく根源であり、様々な伝聞や評価を経るにつれて「忌避伝説」となったということはないだろうか。このように憶測で物を書くことは容易いが実際にそれを裏付けようとすると非常な困難が伴うから、本職の研究者である著者が無責任にそのような記述をすることは出来ないだろう。しかし、このように「責任の持てる範囲」で為された記述ではいまいち消化不良と感じてしまう、というのが最終的な感想である。

「○○があります」ということを証明するためには、実際にそれを発見するとか、その方法を考えることは簡単だ。ところが「○○はありません」ということの証明は困難だ。ある場所を探して存在しなくても、別の場所に存在するかも知れない。極論すれば、全世界、森羅万象全てを調べ上げて初めて証明出来るものである。この鉄道忌避伝説もこれだけ「存在する筈がない」という状況証拠が揃っていながら「でも本当に『無かった』と言えるのか?」と思ってしまうわけである。

少なくとも趣味者の間では最早定説となっている「鉄道忌避非存在論」であるが、今後あっと驚くような発見があり、「いや、伝説ではなく実際に各地に存在したのだ!」という話になったら面白いのだが、さてどうだろうか。

尚、誤解なきように付記するが、鉄道忌避が歴史上全く存在しなかったとは本書では言っておらず、実際にそのような運動の存在が明らかな事例も存在するとして取り上げられている。それは奇しくも現在地元企業が廃線を提案して呆れられている参宮線である。

2007.11.10作成
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