宇部興産専用道路

2007/11/5作成
2011/10/30更新

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道路

現在地
沿革
輸送の形態
踏切

沿革

宇部美祢高速道路略図
IC名
(正式名かどうか不明)
起点からの
距離(km)
開通年月
伊佐セメント工場28.271972.10
堀越27.45
1973.10
船木12.70
1972.9
岡田屋3.66
1975.4
西沖干拓入口1.80
1977.6
西沖の山起点0.00

宇部興産専用道路(正式名称宇部・美祢高速道路)は宇部興産によって開通されました。美祢から宇部への石灰石の運搬を主な目的としたもので、それ以前は主に国鉄の貨物列車にて運搬していましたが、国鉄の度重なるストライキにより安定した輸送が行えず、自前の輸送手段を確保する必要に迫られたことによる産物です。

最初の開通区間は1972年9月の岡田屋・船木間、次いで同年10月の堀越・伊佐セメント工場間、73年10月の船木・堀越間が順次開通しました。但し社史ではこのような記述の他に「74年5月に岡田屋・伊佐セメント工場間の道路が開通」というくだりもあるので、両者の整合性を取るべく解釈すると73年10月から74年5月までは開通区間同士が連結されていなかったということになるかも知れません)。更に75年4月に岡田屋・西沖干拓入口間が開通し、77年6月に西沖干拓入口・「起点」間が開通することで現在「宇部・美祢高速道路」と呼ばれている道路の全てが完成しました。このうち堀越・伊佐セメント工場間、起点・西沖干拓入口間は元々宇部興産の構内です。

山陽線との交点 山陽線との交点から美祢側 車両はパッカー製 山陽線との交点 山陽線との交点から宇部側 撮影した位置の道路を潜る部分のみ、片側1車線に狭められています。白線の跡から見るに当初はここも2車線だったようですが…。

道路は当初は片側1車線で建設が開始されたものの、途中で計画が変更され片側2車線が基本となりました。しかし全区間に亘って設計を変更するには予算が足りなかったか設計変更の時間が足りなかったのか、片側1車線区間と2車線区間が混在する姿となっています。また、最急勾配は計画当初は2%としていたものの地形の制約から3%となり、最小回転半径は400mとなっています。最急勾配が計画より「改悪」されたものの、それでも尚これは設計速度100km/hの道路と同等のものです。

建設に際しては、ベルトコンベア、鉄道、道路の3案が検討され、この順に費用対効果が大きく、道路案に至っては赤字という試算でしたが、道路とすることで石灰石のみならず様々な資材を運搬することが出来るということで一番採算性の悪い案が選ばれたのでした。

この道路は宇部市の宇部興産西沖地区までを直結しましたが、石灰石を必要とするセメント工場はここから厚東川及びその河口部に整備された港を挟んだ沖の山地区に存在するため、混雑する宇部市街の一般道を経由しての輸送を余儀なくされました。このため時間が掛かる他、車両規格が公道を走行出来るものに制限されるという不利があったため、専用道路で沖の山地区も結ぶために河口部に1982年3月に興産大橋が建設されました。この橋も宇部・美祢高速道路と同様、私道としては類を見ない極めて大掛かりな土木構造物として有名な存在です。尚、興産大橋を含む西沖の山地区の「起点」から沖の山地区までの道路は、専用道路ではありますが、「宇部・美祢高速道路」の区間ではないようです。

輸送の形態

三菱製ダブルストレーラー 三菱製ダブルストレーラー パッカー製ダブルストレーラー パッカー製ダブルストレーラー

専用道路開通後は専用道路であることを活用し、当初はトラクタが40tトレーラーを1両牽引する形態での輸送が行われましたが、1982年(興産大橋開通と同時?)には輸送効率の向上のため、現在に至るまでの名物となる35tトレーラー2両を牽引するダブルストレーラー、更に85年にはトリプルストレーラーも導入されました。トリプルストレーラーについてはトラクタ1両で牽引力が確保出来ず、トレーラーの1両目と2両目の間に補助エンジンを挟み込むという特殊な仕様となりました。流石にここまでの特殊仕様では引き合わなかったのかトリプルストレーラーは1代限りで、2000年代初頭に姿を消したようです。トリプルストレーラーのモノクロ写真は「国産トラックの歴史」に掲載されていますが、この他に子供用の乗り物図鑑に大きなカラー写真が掲載されていたことを記憶しています。書名を失念しましたが…。

ダブルストレーラーは日本ではここでのみ見られる存在ですが、以前は公道を走行するトレーラーが検討されたことがありました。大和運輸(現:ヤマト運輸)と三菱自動車工業が共同で開発を進めていたものがそれで、効率的な長距離物流の切り札となる筈でした。しかしながら許認可を得ることが困難であること、公道環境では必須となる後退が困難であることから、他の大型トラックメーカー各社や運輸省まで巻き込んだ一大プロジェクトであり、1970年〜72年に実車まで製作されていながらその実用化は断念されたのでした。その写真は三菱自動車工業株式会社史、及びその写真を転載した「国産トラックの歴史」に掲載されています。宇部興産のダブルストレーラーの国産トラクタ及びトリプルストレーラーのトラクタは三菱製ですが、これは大和運輸との共同開発の経験が生かされた商品であると言えるでしょう。

但し、日本では重量トレーラーを2両も牽引するパワーは規格外であるためにそのようなトラクタは特殊車となりますが、海外では殆ど一般車の範疇となります。このため、当初は三菱製が中心(他にMACK製の存在が社史に掲載されている写真から確認出来ます)であったものを、代替時には宇部興産は安価な外車(主にパッカー、その他メルセデスベンツとボルボ)を主に購入しました。これにより三菱自動車も対抗上価格を引き下げ、現在は三菱と海外製のトラクタが混用されています。

ダブルストレーラーの構造は、基本的に同一のトレーラー2両を通常の形状のトラクタヘッドで牽引するというものです。2両目のトレーラーの前側の2軸はトレーラーと独立したドーリー(台車)であり、これに覆い被さるように1両目と同様の車体の2両目が連結されています(トリプルスの際はこのドーリーにエンジンが装備されていました)。尚、ナンバープレート(勿論構内用のもの)や尾灯類は2両目のみに装備されており、これが1両目と2両目の相違点です。

踏切

踏切 車内からの撮影で見辛いですが踏切全景 踏切 踏切(一般道側開放)専用道路側の遮断機が閉まっています 踏切 踏切(一般道側閉塞)

沖の山地区には宇部市街から1本の公道が延びています。如何にも工場の構内道路の雰囲気なので立ち入ることを躊躇しないでもないですが、標識その他の整備状況は公道そのものであるし、立ち入りを制限するような告知や私有地であることを主張する看板もありません。尤も公道であると言っても袋小路であり、周囲は全て宇部興産関連施設であるため、基本的に宇部興産に無用の者は立ち入ることがないという点では私道と殆ど変わらない存在ですが。

この道路を暫く進むと、右カーブの先に踏切があります。踏切と言っても線路を跨ぐものではなく、宇部興産専用道路と交差しています。このような踏切は日本唯一ではないでしょうか。遮断機は公道側、専用道路側の双方に設けられ、丁度銀座線上野車庫の踏切のように公道を開放している最中は専用道路側を封鎖しています。これは踏切から専用道路への進入を防ぐためであると考えられます。

専用道路をダブルストレーラーが走って来ると警報機が鳴り公道側の遮断機が閉まります。遮断機が閉まるとほぼ同時にトレーラーが踏切を通過するので危険である一方、トレーラー通過後はかなり長い間閉じたままです。踏切制御のタイミングを前倒しするべきではないでしょうか。尚、専用道路にはダブルストレーラーの他にも一般車両(公道を走れる車両という意味)が走行していますが、これらの走行によって踏切が動作することはありません。ダブルストレーラーのみに踏切動作用の発信機を装備しているものと思われます。尚、一般車両は踏切手前の流出路から一般道に出るようになっているため、一般車両が専用道路で踏切を横断することはありません。

公道終点間近 この先が公道終点 踏切その2 第2の踏切 渡ると宇部マテリアルズ、左折して専用道路に入ると興産大橋

さて、この地点から先は公道と専用道路が並行します。暫く進むと公道がカーブして専用道路に左から直角に当たるようになり、ここにも踏切が存在します。ここは踏切であると同時に公道から専用道路への進入口でもあり、左折して専用道路に進入するか、直進して専用道路を横断して宇部マテリアルズに入構するかの選択となります。どちらにしろ公道はここまでということになります。ところがここの信号は青信号が無く、左と直進の青矢印が点灯するのみです。入構権限が無くここまでやって来てしまった一般車はどうすればいいのでしょうか…。

尚、ここには通勤用に宇部市営バスの路線バスが1日1往復運行されているため、バスでこの特異な踏切を渡ることも可能ですし、歩道も整備されているので徒歩や自転車でも安全に訪問することが出来ます。

荷役設備 ダブルストレーラー用の取卸設備

踏切手前には石灰石の荷卸施設が公道から見えます。この施設はトレーラー1両分の長さしかないため、1両目の荷扱いを行ってから1両分前進して2両目の荷扱いを行うという手順を踏んでいます。

踏切動画

(2011.8.15撮影)

参考文献:宇部興産百年史、三菱自動車工業株式会社史

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