2008/2/11作成
暫定版
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道路
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甲子道路(1)
├沿革
├登山道の国道標識
└旧道
甲子道路(2)
├トンネル内分岐
├放棄区間
└石楠花トンネル
「分岐」と述べたものの、果たして本当にそう呼んでいいのか疑わしいものです。何故なら、形状は分岐であっても実態は分岐の役割を果たしていないからです。
こちらは全通に向けて建設中の甲子道路の途中にある、「きびたきトンネル」が現場です。
甲子道路は甲子峠を貫通しないことには意味がありませんが、その甲子トンネル直前から旧道まで無理矢理道を繋げれば(そうでなくとも工事用道路として必要)、先述の大黒屋まで現道を経由するよりは狭隘区間が短くなるということで、そこまでの区間が供用されています。きびたきトンネルはその区間内に位置します。
当初はきびたきトンネル、第一橋梁、片見トンネル、第二橋梁、石楠花トンネルとほぼ一直線に並ぶ構造物にてこの附近を通過する構造で、実際そのように完成して一旦は供用されました。ところが開通後、石楠花トンネル附近の地中で地滑りが発生し、同トンネルをそのまま維持することは危険と判断されました。そこで、このように地表すれすれの場所を通るのではなく、思い切って地中深くに迂回することになりました。このため、迂回区間の端に位置するきびたきトンネルは、トンネル内で迂回トンネルが分岐するという珍しい工事が行われることになったのです。
きびたきトンネルの途中から分岐する新しいトンネルは石楠花トンネルの出口(甲子峠側坑口)のほぼ真横まで達する長いトンネルとなり、当然のことながらこの全体に「きびたきトンネル」という呼称が承継されました。尚、旧きびたきトンネル甲子峠側坑口の扁額は撤去されており、新坑口の扁額に転用されたようです。尚、新旧銘板を比較することや分岐部から白河側を見ることで分かりますが、新しいトンネルは若干拡幅され、旧トンネルの幅員6.0mに対し7.0mとなっています。拡幅分は歩道に使われています。
分岐部は単純に横穴を開けたわけではなく、分岐側が急カーブとならないような構造にしてあります。そのため通常の分岐トンネルのように横穴を開ける場合には生じない、円形断面同士が横に繋がるような接合部となります。このため接合部に応力が集中することになるので、これを補強するために旧道を塞ぐようにコンクリート壁が設置されています。このため旧道へ通じる道は非常に狭くなっており、設置されているガードレールを撤去したとしても車両の進入は困難そうです。また、分岐手前の分岐方向と反対側(白河側から見て右側)の壁面がコンクリートやそれに密着した仕上げ材ではなく、触るとベコベコな感触のする頼りない素材となっています。
旧道部分は基本的にそのまま放置されていますが、消火栓はそっくり撤去されています。流石に設置してから日が浅いので遺棄するには勿体無く、新トンネルに転用したのでしょう。
また、2つある橋梁のうち第二橋梁のみ完全に撤去されています。鉄鋼価格高騰の折、貴重な鉄資源を山中に放置しておくのは勿体無いということでしょうか。訪問時はトンネルの大分手前の道路脇にこの橋桁の残骸と思われる鉄の塊が積み上げてあるのが確認出来ました。第一橋梁も同様に撤去するのか、それとも放棄区間とは言え中間に挟まれるトンネルが孤立するとメンテナンスに支障が出るので残すのかは不明です。尚、第一橋梁と撤去された第二橋梁は長さも構造も全く同じです。
石楠花トンネルは放棄区間中で唯一湾曲している部分で、白河側から撤去された橋梁越しに覗くと真っ暗です。しかし甲子峠側から立ち入ると反対側の明かりが反射して来るために真の闇となる部分は無く、歩くだけなら懐中電灯は全く不要です。内部は資材置き場となっているために「生きている」感じがします。
また鉄骨で内巻きされた箇所があり、ここが地滑り現場で補強された部分です。地滑り発生時には壁面に多数の亀裂が発生したそうで、その補修痕が確認出来る筈ですが、照明を用意していなかったためによく分かりませんでした。
その内巻き箇所の白河側には出水部があり、常時大量の水が湧出しています。地滑りにより地下水の圧力が直接トンネルに掛かるようになった結果と思われますが、出水は人為的なもので、壁面の何箇所かに水抜き穴を穿って意図的に出水させています。そうすることで水圧を逃しているのです。
尚、旧きびたきトンネルは銘板にある通り1985年10月に完成しましたが、石楠花トンネルは94年3月竣工です。このように白河側から順次構造物が完成して行ったわけですが、その放棄区間で一番新しい石楠花トンネルが原因で付け替えが行われることになり、このトンネルは10年にも満たない命でした。
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